「コナンく~ん! 朝よ~っ! 起きて~っ!」
 ドアの向こうから声がする。
 毎朝、彼女の温かな可愛らしい声に起こされ、コナンはいつしかこの声を聞くこと無しに朝は迎えられないな、とさえ思うようになっていた。
 ドアの向こう側にいる、おそらくはおたまを持ってドアの前に佇んでいるのだろう彼女のことを想像して自然と笑みが零れる。
 どうしようもなく、コナンは幸せだった。顔をうずめた枕からは日光の香りがして、この先の未来に待っている二人の生活を思い描いたりしてみる。
 コナンは、湧き上がる幸せと、日の光の下で干された布団と枕の感触が心地良くて、再び夢の中へと誘われそうになった。
 昨夜は遅くまで推理小説に読み耽っていたから、まだカーテンの隙間から零れる朝日が目に眩しいと、その瞳は閉じられたままである。
 蘭の声を子守唄に、このまま眠りたいとコナンは思う。……毎日がその繰り返し。愛しい彼女の声は彼の精神を最も安らかにする作用を持っていた。




彼と彼女の朝





 今日もこうして、いつもと変わらない朝がやって来た。
 蘭はとうとうドアノブに手をかけた。部屋の中から反応がないことから、コナンがまだ眠っていると思ったらしい。
 けれど、少し遠慮がちにそおっとドアを開ける気配がコナンには伝わって、コナンは口元に笑みが零れるのを抑えようと必死になった。
 まるで、旦那様を起こしにくる奥様のようだと、未来の自分達の想像をコナンは自身の中で更に膨らませていく。頬が緩まないように力を込めて、コナンは目を閉じたまま、彼女の動きを聞き耳を立てて追いかけた。
「もう、まーた夜遅くまで本読んでたのね?」
 パタパタと彼女の履いているスリッパの音がコナンの耳に届いた。それから小五郎の寝ているベッドに蘭は駆け寄って、
「もう、まーた夜遅くまで麻雀してたのね?」
 と、コナンに言ったのと同じ口調で、寝ている小五郎に布団を掛けなおしながら言う。
 ふう……と彼女の小さく長いため息が聞こえて、蘭が小五郎を起こすことを止めたらしいとコナンには分かった。
 今日は依頼も入っていなかったし、朝早く起こさなければならない理由もない。
 それに……熟睡し、凄まじいイビキをかいている小五郎を起こすのは、やはり躊躇われるのだ。
 しかし、コナンはそういうわけにはいかない。彼は本来は高校生であるが、今現在は二度目の小学校生活を送っている。もう既に起きなくてはならない時間だし、これ以上寝ていたら遅刻してしまうだろう。
 蘭がもう一度ため息を吐いたのが分かり、そろそろ目を開こうかとコナンは思った。……が、そう思った矢先、コナンは耳元で蘭の囁く声を聞いた。
「起きて? 新一」
 蘭のその言葉にコナンは反射的に目をぱちりと開けた。視界の先には彼女が案の定おたまを持って自分を覗き込んでいる。
 カーテンの隙間から覗く光に、コナンは眩しそうに目を細めながらゆっくりと起き上がった。それから、小五郎が寝ていることをちらっと横目で確認してからコナンは蘭に向き直る。
 蘭は、「新一…?」と小さく呟きながら首を傾げた。
 新一は、コナンになってから“新一”と蘭に呼ばれることにまだ慣れてはいなかった。その名を呼ばれると、その度に胸が高鳴り、今自分が“コナン”という仮面を被っていることさえも忘れてしまいそうになる。
 けれど、やっと、というか、遂に、彼女の前でその仮面を外すことを許された。
 自分の本当の名前を呼ばれる度に、照れくさいのもあってか、なかなか反応を返さないコナンに蘭が首を傾げることも多々あって。コナンが自分は“新一”であることを蘭に話したあの日から、今までは“コナン”として過ごしてきた日常が、少しずつ変化してきていた。
 朝の喧騒に混じり聞こえる、彼女が自分の本当の名前を呼ぶ声も、その時の彼女の表情も、コナンにとっては、もう二度と失いたくはない大切なものとなっている。
 自分の正体を隠していたあの頃にはもう戻りたくはないと、コナンは常に思うようになった。……この甘い蜜の香りを知ってしまったゆえに。
「おはよう、蘭」
「おはよう、新一」
 寝癖で撥ねたコナンの髪を蘭の手が優しく撫でた。そっと手を離すとまた寝癖の部分がピンと撥ね上がり、その様子に蘭は思わずくすっと笑みを零す。エプロンを身に付け、朝食の準備をしていた蘭からは良い香りがした。それは蘭の朝の香りだった。
 二人が近付いたことで、微かに香るそれが――おみそ汁の美味しそうな香りが、コナンの鼻孔を擽る。
 こんなに幸せで良いのだろうか、とコナンは思った。二人を邪魔するものは今はもう何も無いのだ。できれば元の姿でありたかったけれど、姿かたちは二人に とっては関係なかった。今、ここには、自分(工藤新一)と“毛利蘭”がいる。それだけで、こんなにも温かく満たされた気持ちになれるのだから。

 ……いつか、元の姿を取り戻すために、自分達は今以上に危険な中に身を置くことになるかもしれない。
 けれど、これから先のことを考えても怖くなど無かった。全ては希望に満ち溢れた未来へと進むための階段なのだ。この日常を……朝のこの温かな時間を失くさないために、自分はどこまでも強くなれるはずだと、新一は強く思う。
(絶対に、守ってやるからな)
 愛しい彼女を決して手放さないよう、二人でこれから刻んでゆく時間を失わないよう、繰り返される朝を何度も二人で迎えられるように――
 コナンは、自分の髪を撫でていた蘭の手を引き寄せ、彼女の手の甲に、これからの未来を誓ってキスをした。


FIN



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