あの真っ赤な夕陽に妬けてしまう 彼の頬を染めるのは、この世界で一番眩しく美しい朱色の光―― |
それは夕陽のせいだから |
| 夕焼けの光のなかにいると懐かしい気持ちになる、といったのは誰だっただろうか。 彼の寝顔を見つめながら、彼女もまた幼い頃の自分達に思いを馳せていた。彼のあどけない子供のような寝顔を見る度に、あの頃からさほど時は経っていないように思えることもあるが、時は確かに流れ、今もこうして時を紡いでいる。 カチ、カチ、カチ と時計の秒針が時を刻む音も人気のない放課後の教室だからこそ耳をついてくるのだが、決して邪魔な音ではない。どちらかといえば、心地良い音だ。 時計を見やると、すでに5時を回っていた。幼い頃の自分達が家路についていたのもちょうどこの時間だったなと彼女は思い返す。今と昔を重ね合わせて、彼女は笑みを浮かべた。 夕焼けの光はあの頃と全く変わることはない。自分達を包み込む温かい光は地上にまんべんなく降り注ぎ、時として手で遮らなければ前を見ることさえもできなくなるほどの強いものだ。 だが、あの頃と全く変わらない光のなかにいるというのに、何もかもがすっかり変わってしまった。自分達の周りを取り囲む環境も、自分達の置かれた立場も、そして、彼と自分との関係でさえも 。 もちろん変わらないものもある。が、淡い恋心であったそれは、いつしか朱色を放つ太陽のように情熱的なものへと変わっていた。 彼に触れられれば、そこから全身が焦げ付くような熱が体中を巡る。 手を繋ぎ、野原を駆け回ったあの頃。彼と一緒にいるのが、ただただ楽しかった。それが今では、手を繋ぐ度に自分の胸の鼓動に全身が揺り動かされ、ぎゅっと締め付けられるような切なさをも味わう。 その度に、こんなにドキドキしているのは自分だけなのではないかと悔しく思うことも少なからず彼女にはあった。彼はいつでも余裕たっぷりに見えるのだ。 蘭はそっと新一の髪に触れた。年を重ねる毎に、感情は複雑に入り混じり、単純な一言では換えられないものになってゆく。彼と出会ってから今まで。歳月を重ねながら、蘭は自分の胸の内にある彼への想いが、幼い頃の自分が抱いていたそれに積み重なっていったものだと感じていた。 一言では言い尽くせない。時の流れを一時で語り尽くせないように。溢れ出す感情を一言で紡ぐことはできないのだ。けれど自分のなかで積み重なった感情は、言葉で言い表すことができる。その言葉を蘭はいつでも大切に胸に抱いている。 頬杖をついて眠る彼の頬に、蘭は口付けをひとつ落とした。ピクリと彼の肩が揺れた。蘭はすっと新一から離れる。彼は目を開かない。彼を起こしてしまったのかもしれない、と思ったのは自分の気のせいだったのか。しかし彼は目を開かない代わりに頬を赤く染め上げていたのだ。 蘭は思い切って話しかけてみることにした。もしかしたら返事をくれるかもしれない。 「ねぇ、顔赤いよ?」 蘭は自分の頬もだんだんと熱くなってゆくのを感じていた。少しの間を置いて、彼の口が開く。返事は、あった。 「 夕陽のせいだよ」 「狸寝入りしてたのね? 新一」 そう言いながら、蘭は恥ずかしくてたまらなくなった。いつ目を覚ましたのかは分からなかったけれど、すでに新一が起きていたということは、これまでの自分の行動も彼は知っているということになる。 新一の髪に触れ、頬に口付けを落とした自分の行動が思い出されて、蘭はその場から逃げ出したくなった。自分に視線が注がれることを蘭は覚悟しながらも、彼が目を開けることを彼女はおそれた。今の自分はきっと耳まで真っ赤にしているだろうからだ。 ところが新一は蘭の気持ちを知ってか知らずか、目を閉じたままにこう言葉を繰り出してきた。 「いや、俺は今、夢の中にいるんだ」 それが嘘なのだということは明らかであるけれど、あまりにも彼らしい言葉に蘭は否定できない。かわりに笑みが零れ出た。 「 夢の中の夕陽も綺麗?」 蘭は窓の外を眺めながら、夢の中にいる、という彼に話しかけた。現実に今あるこの夕陽もとても綺麗なのだということを彼にも教えてあげたいと思う。朱色の光を浴びながら、彼と同じ言い訳を蘭は考えていた。 顔が赤いのは夕陽のせい。こんなにも温かく強い光のなかにいるのだ。顔が赤くみえても不思議ではない。でも と、蘭は未だ目を開かず頬杖をついたままの新一を見つめた。彼の頬を染めるのもまた、この世界で一番眩しく美しい朱色の光なのかと思うと、あの夕陽に妬けてしまう。 随分と間があった。なおも新一は夢の中にいるということを前提に話を続けてきた。蘭の問に対する答えを新一は持っていなかった。夢の中に、夕陽はなかったのだ。 「いいか? 蘭。今から俺の言う事は寝言だ。だから聞いたら忘れてくれよな」 「うん?」寝言だと断らなくては言えないことなのだろうか? そう思案しながらも蘭は新一の言葉を待つ。胸がトクンと予兆のように鳴った。 「 夕陽のせいなんかじゃねーよ。オメーのせいだ」 ――時が、止まったと思った。時を刻む機械の音が聞こえなくなった代わりに、自分の胸の鼓動が耳をついた。苦しいと思った。まるで呼吸が出来なくなったようだった。目に夕陽の光が眩しかった。瞳に力をこめた。じわじわと目頭を覆う熱さに、蘭の声は震えていた。 「もう一回 言って?」 「 オメーのせいだよ、蘭」 新一の低くて優しい声が、耳の奥に落ちた。新一は狡い、と蘭は思う。責められているはずの言葉なのに、こんなにも甘く響く言葉 。彼は彼女の本心を覆うものを全て奪い取ってしまった。彼の言葉通りだと、この言葉は夢の中に仕舞いこまれてしまう。 蘭はたまらず、今自分の思っていることを口から押し出した。 「忘れたくないよ、新一 」 新一は蘭の願いに目を開いた。視線が絡み合って、真っ直ぐな彼の視線を受け止めきれずに蘭は窓の外へと視線を送る。夕陽の光を浴びて頬が再び染め上げられてゆくのが彼女自身にもよく分かっていた。 「オメーの顔も真っ赤だな」 「夕陽のせい よ」 今さっきまで考えていた言い訳だ。けれど、蘭はすぐに前言を撤回した。そうせざるを得なかった、とでも言うべきか。彼は何もかもお見通しだったから。じっと見つめてくる新一の視線を頬に感じて、蘭は窓のある方向に顔を向けたまま言った。 「 新一のせいよ。 バカ」 満足そうに微笑む新一が窓に映る。蘭は立ち上がり、くるりと彼に背を向けた。新一をこれ以上直視できそうにないのだ。 ガタッと椅子が鳴る。新一が立ち上がったのが蘭にも分かった。 お願いだからこっちに来ないで、と新一から再び蘭は遠ざかった。泣きたくなるくらいに真っ赤なのだ。顔だけではない。全身にまで熱は広がっているようだった。 「俺が起きるのをずっと待ってたのか?」 「そ、そうよ」 一つの机に二つの椅子。向かい合って座っていたという事実も今となってはたまらなく恥ずかしいものだ。しゃくり上げるような声が蘭の喉元にこみ上げてきた。向かい合って座ることだって、いつものことではないか。そう言い聞かせはするものの何もかもが無駄に終わった。熱は冷めるどころか上昇する一方だったのだ。 蘭はなんとか自分を落ち着かせようと呼吸を繰り返していたが、新一に腕を掴まれてビクリと肩を震わせる。蘭がそろりそろりと背後を振り返ると、自分と同じように顔を真っ赤にした新一と目が合った。腕を引かれて、ゆっくりと顔が近付いてゆく 。 同じ朱色の光を浴びながら蘭は思いを馳せた。 幼き頃の自分達も同じ光を浴びていたというのに、照れ隠しに夕陽のせいにしてみせたりしていたのに、今の自分達は照れ隠しをしたところで結局は分かり合えてしまう。 自分達はすっかり変わってしまった。愛を知った。愛を交わした。夕陽を浴びながら、家路につくのではなく、今はこうして深い口付けを交わしているのである。 夕焼けの光のなかにいると懐かしい気持ちになる、といったのは誰だっただろうか。 幼き頃の自分達に思いを馳せて。もう戻る事はない日々を懐かしく思いながら。あの頃のように照れ隠しに夕陽のせいにしてしまうのも良いかもしれないと二人は思っている。 新一と蘭が夕陽に馳せる思い出は、かけがえのない日々だった。 『新一って私のこと、よく見ててくれてるんだ?』 『バ、バーロォ、んなんじゃねーよ』 『ねぇ、顔赤いよ』 『何言ってんだ、夕陽のせいだっつーの』 FIN |
