――今夜、月の光に輝く美を頂きに参上する 怪盗キッド



「一体、何なんだ? 今度の予告状は?!」
 毎度のことではあるが、中森警部は怪盗キッドの予告状に手を焼いていた。けれど今回に限っては、今までに無い程の困難さを極めることとなってしまっている。
 予告状が出てからの慌しい警視庁内。それが、今回は無いに等しい。
 ――静けさだけが残る警視庁。
 予告状を手にしてからは警備のために警視庁内の警官を総動員してキッド逮捕に全力を上げる。それがいつもの流れというものだった。しかしそれが今回は、予告状を手にした、そこまでで流れが止まってしまったのだ。

 『月の光に輝く美』

 今回のキッドの獲物は、それだった。しかし、全く見当が付かないのだ。普段のキッドの予告状の内容からしても、今回の予告状は例外中の例外。全く予告状 の意味を持たないと言っても良い。ヒントさえもそこには記されておらず、一体何の理由があってこのような予告状を送りつけたのかさえも、全く分からなかっ た。
 中森警部の横に居た白馬探も、警部同様頭を抱えた。
 手も足も出ない状態、とはよく言ったものだが、今回の場合、手や足を出す以前の問題だった。どこに行き何をすれば良いのかさえ分からないのだ。怪盗キッドの獲物が分からない以上、この状況では警視庁内の警備を固めること以外に何も思いつかない。
 予告状には、『月の光に輝く美』とあった。仕方なく警部が唸りながら出た行動は、電話の受話器を取ることだった。
 警部が目を付けたのは、美術品だった。絵画やその他、ありとあらゆる美術品の中で、そのタイトルに当てはまるものがあるのではないかと思ってのことだった。
 博物館、美術館、展示場……。頭に思い浮かんだ可能性を、次から次へと頭で考えるよりも先に、ダイヤルを回した。しかし受話器から聞こえてくる言葉は、 どれも「そんなタイトルの作品は聞いたことがありません」といったものばかり。専門家に早急に問い合わせてもみたのだが、どれも答えは一緒だった。
 どこにも無いのだ。予告状の示すそれは……。

 キッドは、一体、何を狙っているというのだろう? 誰もがその真意を理解出来ずにいた。



 “月の光に輝く美”



 ――それは、この世で一番広く美しく、優しく包み込んでくれるもの
 人はそれに癒され、励まされる
 ずっと前から――太古の昔から、この“地球”にあるもの
 月の光に輝き 光を帯びたそれらは美しく輝き、この瞳に映し出される
 かけがえのない、大切な……





Dream of dreaming  ~海と空~






「か……快…斗……?」
 昨夜の事である。月の綺麗な夜だった。夜だというのに、空は月の光を浴びて明るく、優しく街を包み込んでいた。キッドが獲物を狙い、ハンググライダーで飛び立つには少し目立ち過ぎる夜ではあったのだが、そんな昨夜……。
 キッド自身もまさかこんなことになるなんて思ってもみなかっただろう。

 ――怪盗キッドの正体が、一人の少女にバレてしまったのだ。

 それは、キッドが気付かないほど自然に、神から告げられたメッセージによって。たった一人の少女に手渡された真実の光だった。他の誰でもない、たった一人だけ……。彼女がその場所にいたのは、偶然。けれど、その真実を手に入れたのは、きっと偶然ではないのだろう。 

 中森警部に付き添って現場にいた娘の中森青子は、獲物を捕って逃げようとするキッドを逃すまいとキッドのマントに手を掛けた。他にも刑事、警官はたくさん居たというのに、キッドのその姿をその瞳に捉えたのは彼女ただ一人だった。
 月の光だけが差し込む部屋の中。
 暗くてよく見えなかったはずなのに、青子の手はしっかりとキッドのそれを掴んでいた。月の光に白いマントはよく映える。マントが風に靡く度に月の光を反射させ、その存在が確かなものだと思い知らされた。
 青子は震えながらも、その細い腕でしっかりとマントを掴んで放さない。
 しかしこの時、青子のその行動は、放さないという意志からのものでは無くて、どちらかというと、掴んでしまってからどうすることも出来ずに固まってしまった、といった方が正しいのかもしれなかった。
 確かに青子は、キッドを逃すまいとマントに手を掛けた。
 けれど、それから先、どうすれば良いのか分からなくなってしまったのだ。不思議だ。何故だろう。この手を、放したいと思う自分がそこにいた。青子の中で、葛藤が続いていた。
 キッドは、その場からすぐにでも逃げ出さなければならなかった。青子にマントを掴まれてしまった以上、警部達が自分に気付くのも時間の問題だったからだ。

 ――その時だった。

 キッドが振り返ろうとしたその反動で、床にひらりと布切れのようなものが弧を描いて舞い落ちたのである。
 それは、夜に舞う桜の花弁のようでもあった。
 惹かれるように、青子は、それに手を伸ばした。
「ハンカチ?」
 それを拾った青子は愕然とした。震えの止まらない指は、ついにマントを掴む力さえも失くし、全身にぶるっと震えが走った。視界には白いマントが舞って、月の光を反射させている。風に揺れているマントの音が、どこか遠くから聞こえるような気さえした。
「……こ、これ……」
 それは今朝、軽い切り傷を負った幼馴染である黒羽快斗に、青子が手当てにと使ったものだった。
 “青子”という文字がしっかりとそれには記されている。
 偽りのない、確かに自分のものだった。それを持っているのはたった一人、“彼”しかいない。
 青子は、無言でキッドを見つめて、ハンカチを握り締めた。突き付けられた現実に、目頭が熱くなる。青子は何かに促されるように口を開いた。
 言葉を乗せる唇さえも、今は震えてしまっていたけれど、そうせずにはいられなかった。

「快斗……?」

 青子のその震えながらも紡ぎ出された言葉に、キッドは優しく微笑んだ。否定も肯定もしない。
 ただ、儚く、今にも消えてしまいそうな笑みを静かに浮かべているだけ。
 青子は一瞬、息をすることも忘れていた。鳴り響く心臓の音だけが、胸に静かな鼓動を与えている。
 キッドは、その場から煙幕と共に姿を消した。その場から動くことの出来ない青子を残して、月の光差す空の中へ……。
 青子の視界には、ハンカチが広がっている。ゆっくりと光の元を辿ると、今度は月の光が視界の中に飛び込んできた。キッドの去った方向と、ハンカチを交互に見つめる。
 青子の手には、確かにそのハンカチがあった。夢では無かった。月の光輝く夜だけの一時の夢だったら、どんなに良かっただろうかと思った。握り締めて皺の寄ったそれには、雫が一粒一粒滴り落ちていた。
(どうして……?)
 涙が止まらなかった。視界が揺れて、月の光だけがそこにあった。
 キッドはもうそこには居ない。
(キッドが快斗だって分かったから?)
 ハンカチを手に、握り締める。確かに今、手にあるハンカチ。雫がそれに零れ落ちて、自分が泣いているのだということを改めて思い知らされた。
(ううん、違う。ずっと前から、そんな気がしてた……)
 心のどこかでそう思っていた。分かっていたはずだった。何の迷いも無く、自分は、彼の名前を口にしたのだ。
 そう……知っていたのに、知らない振りをしていたのかもしれなかった。確かに今、自分は、キッドが快斗であるという事実を受け入れてしまってもいるのだ。
 けれど。
(それならどうして、涙が出るの?)
 分からなかった。自分の気持ちも、今ここで起こった出来事さえも。自分に与えられた真実は、まだ、戸惑いの中にあったから。
 今、涙で溢れる瞳に映る月の光のように。あやふやで、揺れて、ぼやけていて。まるで自分の心の中がそこに映し出されているようだ。
 この心中を整理する時間が欲しいと思った。事実は時に、人々を混乱させてしまうものだ。
 たとえそれが、心の奥底で予感していたものだったとしても……。

 ――時間が、必要だった。



「親父、バレちまったよ。とうとうあいつに」
 変装をといた怪盗キッドこと黒羽快斗は、部屋に飾ってある父、盗一の写真を見つめながらそう呟いた。
 写真に写っている盗一は、あの頃のまま、笑顔でそこにいる。
 部屋の灯りを付けることもせず、外から灯る光だけだから、光を反射させるその写真だけがはっきりと見えた。
「一番、知られたくなかったんだ」
 ぎゅっと拳を握り締める。青子には、知られたくない真実だったのだ。

『一生懸命やってる人をあざ笑ってるヤツなんか、絶対許せないんだから!!!』

 以前、青子の言っていた言葉が思い出される。それを聞いたとき、快斗はただ何も言わずに聞いていることしかできなかった。青子に面と向かって否定することは出来ない。その言葉を否定するにはまず、自分の正体を明かさなくてはならないからだ。
 だから何度も、自分自身の中で、その言葉を否定した。それは、違う、と。面白半分で、怪盗を続けているワケでは無い。警部達をあざ笑ってなんか無いのだと。
 しかし、自分が怪盗を続けている理由を分かってくれというのも無理な話だった。青子は何も知らないのだ。自分は何も伝えていないのだ。
 自分がキッドであることを隠すために、何度も嘘を吐いた。嘘を吐いて、吐き続けて、ますます真実を暗闇の中に押し込めることになってしまった。
 けれど、それでも、どうしても、暗闇の中に埋もれることになってしまったとしても、言うワケにはいかなかったのだ。
(俺は、どうすれば良い?)
 快斗は自身に問いかけた。知られたくなかった秘密。誤解されたくなかった、“自分が怪盗キッドであり続ける訳”
 騙したワケではないのだ。ただ、青子に誤解されたくなかっただけなのだ。

「青子のことが、好きなんだ」

 自分の口から零れた台詞が、切なく自身の耳に届いた。
 今まで青子にたくさんの嘘を吐いた自分が、青子を好きでいる資格なんてあるのだろうか? と快斗はそんなことを考えてしまう。
 言い訳の言葉など、全く思いつきもしない。きっと、自分がそれを望んでいないのだ。
 自分に残されている選択肢はただひとつ。真実を伝えることなのではないだろうか? 
 青子があの場所にいたことは偶然では無く、自分に与えられた、真実を話すチャンスなのではないだろうか? 
 そう思うことでしか、今は前に進めないとさえ快斗は思った。 
 月の位置がまた変わったのだろうか、部屋へ入り込む月の光の量がまた僅かに増えた。
 自分への問いかけを繰り返しながら見上げる月は、いつもよりも大きな存在として感じた。
 自分自身、包み込まれているような、そんな気さえする。
(そういえば、さっきも……)
 青子がハンカチを拾い上げ、それをぎゅっと握り締めたときのことが、鮮明に思い出される。
 月の光が差し込む部屋。眩しすぎる光。
 ――今日は、隠し事をするには明るすぎる夜だったのだ。
 青子の表情が目に浮かぶ。焼き付いた、といっても良い。頭から離れないのだ。
 その瞳に、涙をいっぱい溜めて自分を見つめていた青子。
 そんな青子の泣き顔を見るのは、あまりにも辛すぎて、その場から逃げるように去ってしまった自分。
 青子を泣かせてしまったのは、他でもない自分だった。この腕に抱き締めて、その涙を止めてやることさえも出来なかった。その場で全てを語り、「泣くな」そう言って、震える肩を抱き締めたいと心で願っていても、出来なかった。
 泣かせたくはなかった。自分のせいだから、余計に……。
「なあ、親父。俺、情けねーだろ?」
 写真の中の盗一の表情は変わることは無い。問いに返事を返してくれることも無い。
 けれど、そうやって話しかけていると、自分の中で消化しきれなかったのものが、浄化されてゆくような気がした。
「初めてなんだよ。こんなにも心奪われるヤツはさ」
 自分は泥棒だ。怪盗キッドだ。狙ったものは逃さず必ず手に入れる。しかし、今の自分はどうだろう。奪う前に、奪われてしまっているのだ。
 情けないことこの上ない。ポーカーフェイスを崩してしまった今日。
 涙で潤んだ瞳で自分を見上げる青子を、月の光の影から見ていた自分は、怪盗キッドでは無かった。
 こんなことは初めてだった。こんなにも心奪われ、乱されたことは無かった。
 自分は、“黒羽快斗”としてそこに居た。青子の目の前に立っていたのは、もう一人の確かな“自分”だった。
「でも、本当に心から奪いたいと思ったのも、これが初めてなんだよな」
 奪われた心は、もう取り戻せないだろう。
 きっと、青子に対する想いが溢れ始めた時から、奪われてしまっているものなのだから。
 奪い返そうとも思わない。けれど、奪われたままというのは怪盗キッドである自分にとっては、どこか悔しいものがあった。

「親父……。最初で最後の俺の我侭、聞いてくれるか?」
 ずっと心の中に秘めている真実。
 それを吐露することで、自分の気持ちをも包み隠さず伝えることが出来るかもしれない。
 それに、今、話さなければきっと後悔する。青子をずっと泣かせたままにしておくことになる。お互いにすれ違いが続くかもしれない、
 そう思うと、そうせずにはいられないと思った。
こうなってしまったのは、―青子があの場所にいたのは、偶然だけど、偶然ではない。きっと、巡ってきたのだ。この時が。
「伝えるよ、青子に……」
 快斗は、写真の中の盗一に、笑顔を向けた。
 月の光がまた一層輝きを増して、部屋に入り込んでくる。辺りは暗くとも、切ないほどに降り注ぐその光……。
 快斗は、どこか安らいだ気持ちになった。



 青子の足取りは重かった。
 いつものように学校へと向かう朝。鳥の囀りは青子の耳には全く届いておらず、青子の頭の中は昨夜のことでいっぱいだった。
 昨夜は眠れなかった。布団の中に入ってはみたのものの、全く眠気がこなかったのだ。頭の中で、ぐるぐるとあの時の情景が思い出されては、どうして零れるのか分からない涙に、混乱した。
 今日、快斗は学校に来ているのだろうか? 学校の門が視界の中に入ってきて、目先の問題に思考が奪われていく。
 もし、快斗が学校に来ていたとすれば、どう接すれば良いのだろう? 
 分からないことばかりだった。不安だった。
 今まで喧嘩をして気不味い雰囲気になったことは数知れずあるのだが、今回はそういった類のものとは全く違っている。
 快斗がもしいつものように「おはよう!」と声を掛けてきたら、自分はそれに“いつも通りの自分”という仮面を装って答えることが出来るだろうか?
 ため息が零れた。
 ――きっと、出来ない。
 いっそ、一睡でもすることが出来たのなら、夢の中の出来事だと割り切れたのかもしれないと考えはするけれども、それも叶わなかった。
 今、自分のポケットの中には、手放すことが出来ずにいるハンカチがあるのだ。
 それを見る度に思い出す。それならば家に置いて行けば良いのに、と思ってはいても、それが出来ない。何故だろう。自分が、不思議なのだ。理由も分からないのに、零れ落ちる涙と、手放すことが出来ずにいるハンカチ。
 青子には、分からないことばかりだった。
 ハアとため息を吐く。気持ちは重くとも、足は確実に学校へと近付いてしまっていた。


 教室に入ると、クラスメートの恵子が、机の間を縫うように早足で青子に近付き、話しかけてきた。
「ねぇ、青子、知ってる? 怪盗キッドの予告状!」
「……え?」
 “怪盗キッド”出てきたその言葉に、青子はびくっと肩を震わせた。
 それは一瞬で、恵子には気付かれていなかったけれど、その名前を耳にしただけで、こんなに動揺するとは思っていなかったのだ。本人を目の前にしてしまったら、一体自分はどうなってしまうのだろう。
「ううん、知らないよ?」
 出来る限り平静さを装ってはみたものの、いつものように言えたかは分からない。
 それよりも、“怪盗キッドの予告状”のことが青子には気になった。
(……快斗は、今度は何を盗むつもりなの?)
 心の中で、そう問いかける。“盗む”その言葉が、こんなにも重く感じたことは今まで無かった。
 ――何もかもが分からなくなった。
 怪盗キッドは、何の為に盗もうとするのか、どうして怪盗を続けているのか。全てが、だ。
 きっと、理由があるはず、そうは思うのに、今まで自分が怪盗キッドに抱いてきた気持ちは、すぐに変えられるものではなかった。
 自分の父親は必死で彼を追っているのだ。
 その正体が、実は幼馴染の黒羽快斗だったという事実を突きつけられても、そう簡単には変えられない。
「じゃあ、これを見てみて?」
 恵子のその言葉に、青子はハッと我に返った。
 恵子は青子に新聞を差し出した。ゆっくりと、青子はそこに書かれている文字を辿る。
 その新聞には、今朝早く怪盗キッドからの予告状があったことや、昨日起こった事件についてのことが書かれている。
 ――そして、新聞の中央部分、今回の予告状に青子は引き付けられた。

「月の光に輝く美?」

 青子の呟いた言葉に、恵子が頷いた。
「そうなのよ。月の光に輝く美! 今回の予告状、いつもと違って何を盗もうとしているのかが分からないのよ」
 青子は、新聞の活字を目で追った。
“月の光に輝く美とは何なのか?!”そこには、大きな文字でそう書かれてもいた。
 謎だらけの怪盗キッド。今回の予告状がまたそうであるように……。
 青子は、窓の外を見上げていた。幾分、それで心が落ち着くというものだ。
(……月……)
 朝には、輝きを失う月。まるで、今の自分のようだと青子は思った。頭の中がどんどん空虚になっていく。色を持たない。
 それに引き換え、窓の外に広がる快晴の空はどうだろう。こんなにも輝かしく、青という色彩を放っている。怪盗キッドは、空のようだ。今日もまた優雅に身 を翻し、獲物を狙い、逃さずそれを手に入れるのだろう。それからこの広大な空に、ハンググライダーで飛び立ち、地上にいる警部達を振り返ることもなく去っ て行ってしまうのだろう。
 どこまでも可能性を秘めていて、そして限界というものを感じさせない。
 そんな彼だからこそ、手を伸ばしても届きそうになくて、時々それが怖くなってしまう。

 青子の視線は、今度は一番気になる彼の席へと注がれていた。
 快斗の席は空いている。
 青子の視線がどこに注がれているのかに気付いたのか、恵子は青子の疑問に答えるように言った。
「あ! そうそう、快斗君お休みらしいよ?」
 青子は、恵子のその言葉に、ほっとした。それから、ほっとしたことに気付いた自分に悲しくなった。けれど今日は、本当に――合わせる顔が無かったのだ。どう接すれば良いのか、本当に分からないのだ。
 青子は快斗が学校を休んだ理由を考える。怪盗キッドとしての仕事をするためなのだろうか? と、まずはそのことが浮かんだ。
 これ以上、罪を重ねて欲しくない――そう思ってるのに、何も出来ない。止めることの出来ない自分が歯痒かった。
 青子は、空席となってしまっている快斗の席を、ただじっと見つめることしか出来なかった。

 だからこのとき、青子は知る由も無かったのだ。
 全ての真実は、今夜、怪盗キッド自らの言葉によって明かされるのだと言うことを――



「駄目だ。今日は帰りなさい、青子」
 学校の授業が終わり、青子は警視庁に来ていた。
 しかし青子の父である中森警部は娘の姿を見るなり青子に家に帰るように言う。
 それは、未だに怪盗キッドの今回の目的が分からないから、というのも理由として挙げられる。キッドの獲物が分からない以上、警視庁とて安心できる場所では無い。
 しかも、キッドは変装の達人でもある。青子に変装されてしまっては厄介なことになるのは必至だった。
 それからもうひとつ。昨日の事件で、怪盗キッドと青子が接触したことを中森警部は知っていたからだ。これ以上、青子をキッドに近づけてはならないと、自身の直感がそう訴える。青子をキッドに近付けることは“危険”だ、と。
 昨夜、……そう、キッドに接触したあのときから青子の様子が変だった。何かあったのだろうか、と思いはするものの、とても聞ける状態では無く。今朝、ため息ばかり吐き、夜も満足に眠れなかったのだろう疲れた顔が、痛々しかったのもある。
 これ以上の言及は、青子を苦しませてしまうだけだと警部は遠目に青子を見守ることしか出来なかった。
 けれど青子は警部の言葉に全く聞く耳を持たなかった。
「青子もキッドのことが気になるんだもん!」
 青子のその声は、周りの刑事達が思わず作業の手を止めて振り返るほどであった。中森警部も、圧倒されてしまっていた。
 今朝の様子と、全く違っているのだ。色を失った瞳が、今は複雑に光り輝いているようにも見える。
 確かに、いつまでも落ち込みくよくよするのは青子の性に合わないような気がする。自分で何かしらの答えを見つけたのだとも言えるだろう。
 しかし複雑に輝く瞳は、間違いなく“迷い”と“不安”を含んでいた。
 今日のキッドの予告と何か関係があるのだろうか? 警部は考えた。
 何か青子は知っているのではないだろうか? 
 昨日、キッドと接触した時に、何かを知ってしまったのでは? 
 それならば、ますますキッドに近付けてはならないと警部は思った。
 けれど、今の青子を追い返すことは出来なかった。こんなにも必死になっている娘を、どうして追い返すことができる?
 今まで、娘のこんな表情を見たことは無かった。複雑に輝きながらも、切ない綺麗な色がそこにはあった。青子の瞳は、切ない恋の狭間の中で揺れ動き、戸惑 いの色をちらちらと浮かばせ、切ない恋の行く末を見つめようとしている。小さな少女だった娘は、自分の知らぬ間にこんな表情もするようになったのだな、と 警部は、しみじみと感じてもいた。
 どこか寂しい気持ちが一緒になって、複雑な気持ちで胸が満たされてゆく。
 警部は、ふうっと一息吐いた。警部は“警部”としてではなく、“父親”として娘の願いを聞いたのだった。
「じゃ、俺の側にしっかり付いてるんだぞ!」
「うんっ!」
 より一層、青子の瞳の輝きが増したような気がした。


 ふと青子が窓の外に目をやると、そこには綺麗な夕焼け色の空があった。
 警部は再び刑事達の輪の中へと入っていった。今日の対策を練っているのだろう。ざわざわと会話が聞こえてきたが、青子にはそれがどこか遠くから聞こえてくるような喧騒のような気がしていて然程気にもならなかった。
 窓ガラスには、自分の姿が映っていた。窓ガラスに映った自分と夕焼けのオレンジ色が重なる。
 それを見つめるだけで、どうすることも出来ない切ない気持ちが止まることなく溢れ出してきていた。
(決めたんだもん)
 青子は、胸に手を当てた。ドキドキと鼓動がその手に伝わってくる。
 自分は、決めたのだ。“全て”を知るために。
 分からないことは、山ほどあった。けれど、このまま何も変わらず快斗とすれ違いになるのは、どうしても嫌だった。自分らしくもないとも思う。
 真っ向から、快斗に向かって、怪盗キッドに向かって駆け出せば良いのではないか。
 前に進めば良いではないか。青子はそう決心したのだった。
 キッドが――快斗が話してくれるかどうかは分からない。
 でも、それはそれで後悔はしないだろう。このままの状態がずっと続くより、当たって砕けてしまった方が何倍も良い。青子は胸に手を当てた。迷いは無かった。
 辺りは、段々と薄暗くなってきていた。予告状には“今夜”とあった。もうすぐ、夜の帳が下りてくる。
 月も僅かな光を得て空にあった。辺りが暗くなるにつれ、月の光も増してゆく。それと比例して青子の胸も高鳴る。
 青子は、快斗のことを想った。今、どこで何をしているのだろう? いつ、どこに、快斗は現れるのだろう? 
 青子は、快斗のことが好きだった。自覚したのはいつの頃だっただろう。いつも当たり前のように側にいて、片時も離れることは無かった。
 だから、こうして一人でいるとすごく不安になる。一人になると、快斗を呼んでしまいたくなる。心の中で、叫ぶ。
 不安は尽きてはいなかったけれど、気付けば、会いたいと切に願っている。
 月が真上に上がった。
 この時を切に願っていた。青子の胸の高鳴りは、ますます激しさを増してゆく。

 ――その時だった。

 靴の音が、青子のいる部屋に響き渡る。ゆっくりと振り返ると、そこには、白いマントを翻す彼が居た。
 部屋に取り付けられている監視カメラの映像を覗いたのか、階下からこの部屋に昇って来る沢山の足音が青子の耳に届いた。
 ドクンドクンドクン……一際大きくなった心音が、青子の耳に届いた。自身でも大きく感じて、震えまで伝わってくる心臓の鼓動。あまりにもそれは激しくて、一瞬ふらついてしまったほどだ。緊張のためなのか、頬には朱が差す。
「怪盗キッド……」
 青子がそう小さく呟いた時、部屋のドアがまるで壊されんばかりの勢いで開け放たれた。
「怪盗キッド!!」
 中森警部の大きな声に、青子の心臓もドクン! と大きく跳ねた。
 目の前にいるのは、やっぱり怪盗キッドなのだと、はっきり認識させられた。夢ではない、これは現実だ。
 カツカツカツ……。怪盗キッドは、真っ白な靴を鳴らせて部屋の中央に立った。周りをぐるりと警官に囲まれても臆した表情は全く見せない。それどころか、余裕の笑みを浮かべているのだ。青子は、ぞくっとした。

「Ladies and gentlemen!!」
 
 キッドのその声に、周りを取り囲んでいた警官も、中森警部も、青子も、そしてその場に居合わせた白馬探も、一瞬びくっと体を震わせた。すっかり怖気付い てしまった警官達に、警部が怒気を含んだ声で、「キッドを捕まえろ!!」と半ば叫ぶように言うと、周りを取り囲んでいた警官達が一斉に部屋の中央へと駆け 出した。
 しかし、怪盗キッドが向かってくる警官達に向かって放った表情に、彼らは、ピタッとその動きを止めてしまう。
「どうした!!」
 警部の声が聞こえているのかいないのか、それすらも分からない。――固まってしまっているのだ。
 怪盗キッドは、ゆっくりと周りを取り囲む警官達を見やりながら、警部の前で足を止めた。
「今日の獲物は何か分かりましたか? 中森警部?」
 いつものポーカーフェイスと落ち着いた口調でそう言葉を告げた怪盗キッドに、
「……くっ……」
 警部は何も言うことが出来なかった。悩みに悩んだ末、とうとう予告状の意味が分からなかったのだ。ただ、警視庁内の警備を固めておいたのは正解だったのかもしれないと警部は内心そう思う。現に今、怪盗キッドはこの建物に姿を現したからだ。
 警部の隣にいる白馬も口を閉ざしたままだった。二人は、悔しいという表情を露骨にしてみせた。
 青子は、じっと怪盗キッドを見つめていた。その先にある、怪盗キッドの真実を見つけようとして。胸に手を当てる青子の今の表情は、心配そうに怪盗キッドを見守っているように見えた。いや、実際、そうであった。
「それならば、仕方ありませんね」
 キッドは、尚も落ち着いた声でそう言葉を放つ。視線は、僅かに青子へと向けられていた。
「何っ?!」
 “意味が分からない”と、中森警部と白馬はその場に立ち竦んだ。他の警官達も何をどうすればいいのか分からず固まってしまったままだ。
 “キッドを捕まえなくては!”そう思いはするのに、体が何故か動かない。キッドのあの表情に固められてしまったのだ。
 “今日のキッドはいつもと違う!”はっきりと身にしみて分かった。そう、いつもと違うのだ。どこかどう違う? と問われてしまえばはっきりと言葉に出来ないほど小さく微かなものではある。けれど、体の動きを止めてしまうには十分なものだった。警部も、固まったままだ。
 怪盗キッドは、周りを取り囲まれている。自分達の手中にあると言っても良い。しかし、余裕など一欠片も無かった。誰も、キッドに向かって駆け出そうとしない。そんな雰囲気を作り出してしまっているのだろうか、怪盗キッド自身が……。
 そして、いつものように自分を捕まえようと躍起になっていない警官達の反応を良い事に、キッドは、静かに言葉を紡ぎ出しながら、煙幕を張り巡らせた。

「それでは、獲物を私が奪った後に、確認して頂きましょう」

『月の光に輝く美』――その真実が明らかになる時だった。
 その煙幕に誰もが目を閉じる中、怪盗キッドの手は、確かに『月の光に輝く美』を確実に捕らえていた。

 視界がようやく開け、瞬きをしながら部屋中を見渡すと、怪盗キッドは当然居なかった。
 これは、怪盗キッドが獲物を手にして逃げ去った後の状態だと言っても良い。
 しかし、この部屋に怪盗キッドの獲物となるものが果たしてあっただろうか? と、警官達はそれぞれに部屋中を見渡すこととなった。そんな中。中森警部 は、悔しそうに携帯電話を手にとって部屋を出て行こうとする。まだそんなに遠くへは行っていないだろう、と、警戒網を敷く考えが警部の頭の中に過ぎったの だ。
 しかし、部屋を出て行こうとした警部に向かって、白馬探の声が上がる。
「待って下さい!」
「……あ?」面倒くさそうに警部が白馬を振り返ると、彼は、出来る限り自分を落ち着かせようとしている声で、今から言おうとしている言葉を何とか口から押し出した。
「中森警部のお嬢さんがいらっしゃいません」
 警部は、手にあった携帯電話を床に落とした。
「何だって?!」



「ここはどこ?」
 真っ暗で周りがよく見えない。が、耳を澄ませると、ザーッと波の音が聞こえた。
(もしかして……海?)
 目を凝らして周りを見渡す。そこには青子とキッド意外は誰も居らず、夜の静けさと月の温かい光、波の音だけがあった。
 暗闇に目が少しずつ慣れてきたのか、確かにここは海なのだと分かる。しかし、今自分の足元にあるのはコンクリートの塊だった。
 ここは、都会の海だった。
「キッド?」
 横に佇んでいるキッドに向かって、青子は静かに彼を呼んだ。キッドは、視線を海から青子に向ける。しかし言葉は発しない。
 青子の瞳を見つめながら、キッドは決心したようにシルクハットを手に取った。
 一目で分かった。潮風に靡く、その少し癖のある髪は、間違いなく快斗のものだった。
「キッドは、快斗だったんだね?」
 震える声で青子から告げられた言葉に、キッドは漸く口を開いた。
「ご自分で、確認してみてはいかがですか? 青子お嬢さん?」
 そう言って、青子の手を取り、その綺麗な手の甲に快斗は口付けた。この場に来ても、二人きりであっても、キッドはキッドだった。

『いかなる時にも、ポーカーフェイスを忘れるな』 
 父、盗一の言葉である。怪盗キッドとして出現した以上、これは絶対に守らなければならないものだった。
 しかし青子を目の前にして、キッドはこれを守れなかった。月の光に照らされ、涙を零し、ハンカチを手に握り締める青子の目の前で、キッドのポーカーフェイスは崩れたのだ。こんなにも心奪われ乱されたことは無かった。自分をそうさせる存在も、青子だけだった。
 青子は、キッドのその行動に僅かに頬を赤く染めながらも、キッドのモノクルにゆっくりと手を掛けた。

 キッドと目が合う。
 キッドに釘付けになる。
 青子は、モノクルをゆっくりと取り外していく…。

 ……このモノクルを取り外したその時、目が合ったのは――

 青子は、快斗が好きだった。それを自覚したのはいつの頃だっただろう? 
 今はこうして海と空に挟まれた月から零れ落ちる光の中で二人……。

「やっぱり快斗だったんだ……」
 青子の目の前に居るのは、青子が想いを寄せる幼馴染、黒羽快斗だった。
「ああ」
 青子は、ぴくっとその声に肩を震わせた。胸が高鳴る。
 キッドは快斗だった、その事実は、青子の胸を切なさでいっぱいにしていた。
 どうして今まで確固とした確信が持てなかったのだろう。
 キッドは快斗かもしれない、その疑問を、自分で気付いていながらも、気付かない振りをしていた。胸の奥底にあったのは、自分でも気付いていながら気付こうとしなかった事実だったのだ。
「どうして、今まで、隠してたの?」
「青子……」
 快斗は、ゆっくりと彼女の名前を呼んだ。途端、青子の瞳から、大量の涙が零れ始めた。
 ――快斗の表情が、昨夜のキッドのそれと重なった。
 理由も無く零れるのだ。溢れるのだ。涙、という名のそれが。分からなかった。自分のこの行き場のない感情さえも……。
 青子はどうして良いか分からず、また分からないことが悔しくて、何度も何度も快斗の胸を叩いた。
 震える体。快斗の胸を叩く青子の手には、力はもう殆ど残っていない。その手も震えて、どうにも切なかった。
「馬鹿……馬鹿……快斗の馬鹿っ!!」
「青子……」
「馬鹿っ……」
 震えた手が、快斗の胸で動きを止めた。青子の体も震えていた。今までずっと自分の中に押し込んでいた感情だった。
 青子は快斗が好きだった。――力になりたかったのだ。

 快斗は青子が好きだった。――だから……。
「青子……」
 ――震える青子の体を抱き締めた。

 快斗が腕に力を込めると、青子は、すっと体の力を抜いた。次第に落ち着いてきたのか、体の震えも少しずつ納まっている。体に伝う温もりに安心したのかもしれなかった。

「俺は……」

 ――その後に続いたのは、怪盗キッドの……いや、黒羽快斗の真実の言葉だった。
 青子は、じっと快斗の腕の中でその話に耳を傾けた。
 自分が怪盗キッドになった経緯。怪盗キッドであり続ける訳。目的。――全てを、青子の前で快斗は語った。自分でも確かめるように、ゆっくりと青子に話しながら、頭上にある月を快斗は見上げていた。
 何度も、この月を見上げた。ハンググライダーで、月の光の中に飛び込むこともあった。この光はいつも、確かな真実をそこに映し出していた。月の光の中にいる時は、キッドの姿は確かにそこにあったのだ。
 暗闇の中で彷徨い続けるキッドは、誰にも捕まえることは出来ない。
 他の人物になりすまし、偽の姿である時もあれば、完全に姿を消し去ってしまう時もある。
 だが、昨夜は逃げも隠れも出来なかった。月の光の中、青子の手に届いたのは、確かな真実の光だった。
 青子は全てを知った。全てを悟った。――そして、自身の頬に伝う涙のワケを知ったのだった。



 警視庁の一室では、中森警部と白馬がじっと電話の前で待っていた。他の警官たちは警視庁の周りを探索している。
 どうして電話の前で待っていなければならないんだ! と警部は自身に突っ込んだ。これではまるで、“中森警部のお嬢さん誘拐事件”とでもいった対策本部でも出来上がってしまったかのようだ。
(キッドの要求は何だ……?!)
 と、今まで経験したことも無いことに頭が痛くなる。
(課が違うではないか、課が!!)
 しかし、何故だろう。焦りといった感情は微塵も無かった。青子が危険な目に遭うとも思えなくなってしまっている。今まで、キッドは人を攫うことなど無 かった。初めて、といえば、今回の予告状もそうだろう。全く意味を持たない予告状……しかし、やはりそこに意味はあったのだ。現にこうして青子はキッドに 捕まってしまったのだから。
 全ての意味が、この予告状に込められている。分かってはいるけれど、分からなかった。
 警部は、キッドを信用していた。人を傷つけない怪盗。無邪気で、まだ幼い子供のようで、しかし、その瞳にはいつも強い意思が宿っている。
(今回の目的は、何なんだ…?)
 今日何度目かのため息を吐き、音を奏でない電話をじっと見つめる。
 すると、警部のため息が移ったのか、白馬も静かに一息吐いてから、隣にいる警部に話しかけた。
「今更なんですけど……」
「あん?」
「怪盗キッドの予告状の意味が分かりました」
「何だって?!」
 警部の大きな声に、白馬は思わず耳を塞ぎたくなる。
「警部、お嬢さんはすぐに帰ってきますよ」
「どうしてそう思う?」
 警部の声に凄みが増した。胸倉を掴まれそうな勢いだ。
「予告状の意味が分かったからでしょうか……そんな気がするんです」
「ほう……じゃあ、ゆっくりその意味を聞かせてもらおうじゃないか」
 警部は、椅子に深く腰掛けた。
「ワシも同意見なんだよ」



『月の光に輝く美』

 月の光に照らされるもの……
 それは、漆黒の闇に包まれる夜の空――
 そして、その空と対になっているもの……それは海――
 月を対称の軸とするかのように対をなして存在する空と海は
 太古の昔からこの地球上に存在し、その姿は変わることなくそこにある

 人々がそれらに惹かれるのは、その美しさにある
 ――青く澄んだその色……
 そう、この澄んだ青色に心を奪われ、そして夜には月の光で照らされるその漆黒の色彩にも
 どこか心奪われ惹かれるのだ

 “青”

 そして、“月”は女性を意味している
 怪盗キッドが奪いたいと思ったのは、その“青”という色彩……
 夜には空の青も海の青も分からない
 だから、その色の見分けが付かない夜にキッドは現れ
 その色を誰もが気付かないうちに奪ったのだ



 予告状には、全ての意味がこめられていた。そして、その予告状にはもう一つ、別の意味があった。
(もう一つの意味は……このまま警部にも話さないでおきましょう)
 白馬は、ふっと息を吐いた。予告状のもう一つの意味。
 キッドが奪いたかったのは、“青”と“女性”に当てはまる人物。ワザと予告状を分かり難く作ったのは、青子が警部の身近にいる人物だったから、というのも理由の一つとして挙げられるだろう。
 しかし、もう一つ。この予告状には、切ないほどの怪盗キッドの気持ちが含まれていたのだった。
 白馬は、窓の外を見上げた。
「……警部、綺麗な月ですね」



「快斗……」
 青子は全てを知った。全てを悟った。――そして、自身の頬に伝う涙のワケを知った。
 手放すことの出来なかったハンカチと、止まることの無かった涙。
 それは、怪盗キッドの正体が“黒羽快斗”だったという事実だけに起因していたのではない。
 あの時……月の光の中で見た怪盗キッドのその切ないまでの表情が、全てだった。言葉を交わさなくても、その表情に、全てを知ったのだ。
 溢れ出した感情は、涙へと形を変え、青子は押さえ込むことの出来ない感情に戸惑った。確かに、キッドが快斗であったという事実にはショックもあった。
 自分の父親の追っている怪盗キッド。キッドは言わば自分の父親の敵でもあるのだ。“盗む”という行為は決して許されるものでもない。――しかし、心から憎むことも出来なかった。
 その理由が、まさしく、“それ”だったのだ。
 青子は全ての事実に気付き、勘付いていたとも言えるだろう。
 しかし気付いて気付かないフリを……真実に近付いて近付いていないフリをしていたのかもしれなかった。
 不可思議な感情。自分自身に生まれたこの感情の行く末が分からず、自分とも……そして快斗とも向き合うのが恐かった。
 快斗の腕に力がこもる。青子は、その腕にしがみ付くように力をこめた。
「ごめんな、青子……。お前を傷つけるつもりは無かったんだ」

(一人で全部、抱え込んでたの……?)
 青子は、首を横に振った。快斗が悪いワケではないのに……と、静かに首を振った。
 それからゆっくりと顔を上げると、快斗と目が合った。
 どうして良いか分からなくて、とりあえず微笑んでみる。けれど、歪んだ視界に邪魔されて、上手く笑えなかった。
「快斗、話してくれてありがとう」
 ぽたっと、コンクリートの上が涙で濡れた。快斗は、ゆっくりと青子の頬に手を伸ばす。まるで壊れものに触れるように、その手つきは優しかった。涙をその手で拭うと、快斗は少し視線を低くして、目を閉じたまま視線を下げている青子に語りかけるように言った。

「青子……好きだ」



 月の光に照らされた青子を綺麗だと思った。
 昨夜、ハンカチを震える手で握り締め、瞳に涙を湛えて自分を見つめていた青子が、
 空や海のように……青く綺麗な色を帯びるそれらのように……。

 ――その『美』を奪いたかった

 空や海から、“青”というその色彩を奪ったらどうなるか。
 しかし、それらは奪ってみてもその美しさは変わることは無かった。
 それは、月の温かい光に包まれているからなのだろう。

 もし、青子を月に例えるなら、自分は漆黒の色彩を放つ夜の空や海だろう。
 怪盗キッドとして夜徘徊する度に苛まれるその辛さや戸惑いから救い出してくれるその光は温かくて安らぎを与えてくれる。
 そして、怪盗キッドは――快斗は、そんな月の光に恋焦がれていた。

 青子の瞳が驚きに見開かれた。その瞳を覗き込めば、温かな光が見えてくる。優しいその光が、こんなにも安らぎを与えてくれる。月の光を映すその瞳が、自分を見上げている。快斗は、頬が赤くなっていくのを自覚した。
「青子も……だから……ね」
「ん?」
 波の音に邪魔されて、よく聞き取れなかった。
 自分の声が小さくなってしまったことを自覚していたのか、青子は、少し大きめに声を出そうとしながら、けれどやはり恥ずかしくて頬を赤らめた。
「快斗……」
 ぎゅっと、青子は快斗の腕を握り締めた。その力にほんの少し引っ張られるようにして、快斗が青子の瞳を覗き込む。
 瞳を潤ませ、頬を赤らめる青子が愛しくて愛しくてしかたなかった。

「大好き」



 “月の光に輝く美”



「警視庁まで送って行くよ、皆心配してる」
 快斗の言葉に、青子はくすっと笑った。
「どうしたんだ?」
「だって……気をつけなきゃ、快斗。お父さんに捕まっちゃうよ?」

 青子は、怪盗キッドを追う時の生き生きとした姿、怪盗キッドはオレの生きがいだ、とよく語っていた父親の姿を思い出していた。もしかすると、怪盗キッドのことを、はっきりとはしなくても父は理解していたのではないかと青子は思った。
 きっと、自分と同じように……憎んではいなかったのだ。
 そのことにも、青子は気付くことが出来た。警察から追われる怪盗キッド。けれど、怪盗キッドは、皆に愛されていると言っても良いだろう。
 心の中が、すうっと軽くなった。
 意地になっていたのかもしれない、と青子は思った。こんなにも好きなのに、いつも逃げられてしまうのが悔しくて、今まで、一体何度“嫌いよ”そんな言葉を口にしたのだろう。
 素直になれなかった自分に、思わずどうしようもなく苦笑した。

 可愛らしい笑みを浮かべながらそう言う青子に、快斗はモノクルをかけながら言う。
「私を捕まえることが出来るのは、この世でただ一人、あなただけですよ」
「もう、気障なんだから」
 青子は微笑んだ。温かな輝きを含んだその瞳を細めて、そう、穏やかに、ふわりと……。
 海と空の間には、光輝く月がある。



 ――それは、この世で一番広く美しく、優しく包み込んでくれるもの
 人はそれに癒され、励まされる
 ずっと前から――太古の昔から、この”地球”にあるもの 
 月の光に輝き 光を帯びたそれらは美しく輝き、この瞳に映し出される


 それは空――
 それは海――

 青色に輝くそれらは、
 かけがえのない、“俺”にとって一番大切な人と似ている……


 俺の愛する“青子”に――――



FIN



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